「自分なら罵倒して(ディスって)もいい」は間違いですという帯にひかれて精神分析の本を1冊読みました。自信の無い人に一歩踏み出すためにどんなアプローチをしたらよいのか?を最近よく考えています。
自己肯定感には成功体験というけれど、本当の核って根拠のない自信ってやつだと思います。
それってどうやって手に入れるのか?
成功するために自己研鑽するは間違いだとおもうのです。
未熟で幼稚な精神では研鑽は粉飾だらけに・・・。目標高すぎ・・・。
そもそも自信がないってそりゃそうだよ。
自信ないけどないなりに、受け容れて工夫して準備して人に聞いて・・・それでも無いから胃が痛くなりながら前に進むもんだろう。逃げたら家族も仲間も生きていけないのだから・・・。
でも、そういう答えが欲しいのでは無いのでしょう。これではあまりにネガティブだと。
だからそれは、きっと自然の力を利用するってことなのかなぁと。
昨年妻に、人間の体には本来遺伝的・肉体的なエンジンが備わっていて、それらの自然本来の力を利用すればいいんじゃないかって話をしたことがあるけど、哲学的過ぎて具体的にどうすれと?いわれうまく答えられなかった。
精神分析の本を読みながら、頑張れではない方法ってこれかなってのがみえてきました。
根拠の無い自信って、未成熟なものなのに無知ゆえに宿るように見えます。
だけど、揺れる不安パラメーターがワクワク感によって機能不全になるような感じだと思うのです。
じゃぁそのワクワクってどう作り出すのか?
それって、最初の一歩目は、誰かが大真面目に楽しんでいることに誘うってことなのだと思います。では、振り返って私たちは大真面目になにか楽しんでますか?
忙しがって、ゲームやスマホいじってるだけでは・・・?
例えばわが社で疲労困憊の中各人の責任で工夫しまくって木を剪定して仕上げているときの一体感とか恍惚感、至福の喜びなのだけどなぁ・・・。
それをもっと発信、共有しろってことかぁ。
苦しい先の人間的歓び・・・。
何か見えてきました。
わが社の経営理念って伸びすぎた木で困ったを解決します!だけど、
剪定や伐採仕事を通しての若者の身体性を伴った人格形成と仲間の形成も大きなテーマですね。
いや、本当にやりたかったのこっちだったのかぁ。
参考:「自傷的自己愛」の精神分析 (角川新書) 新書 – 2022/12/9
斎藤 環 (著)
経営リーダーのための社会システム論 2022/2/22 宮台 真司 (著), 野田 智義 (著)