退屈な日常を抜け出し、充実した日常を手にいれるには、パスカル的に言えば「苦しみ」を求めるということです。
危険な場所で仕事をしていると「あなたは危険が好きなのでしょ?」といわれます。
分かり易くが最近の流行りなので「危険が好きなのかもしれないですねぇ」なんて言って笑っています。

みんなのやりたがらない危険な所にいって、仕事をこなし、ちゃんと帰って帰ってこれて、また行くことが苦じゃなくて、感謝されて、お金ももらえることが楽しい。
そういった充実感を少しぐらつかせてくれる話がありました。

先日の、NHKプロフェッショナル仕事の流儀に色々と考えさせられたので書き留めておこうとおもいます。
プロフェッショナル「土木技術者・山口宇玄~ロープ1本で、世界の平和を守る~」公式サイト
ロープ1本でダムや橋を点検する土木技術者。

誰も手を出せないような危険と思われる仕事を、私もやることがあります。
それが私の価値でもあり、期待されてとても嬉しく思います。
誰かにこの危険を突破できる技術を継承したい。それはごく普通なことでしょう。

その中で、部下の大怪我も経験されたそうです。
危険地帯で仕事をするものはみな自責なのです。命は自分でしか守れないことをよく知っているからです。
だからこそ、他人の怪我にはもどかしく、私に何ができるか?まだやれることがあるはず!と思い篤くなってしまいます。

彼の執着を周りは煙たがるでしょう。私もきっと彼と同じことをするでしょう。
しつこくあーしろこーしろいうでしょう。所作のひとつひとつ、考え方のひとつひとつ。
危険作業を安全にするのは当たり前で、効率上げて稼ごうってしているのだから、馬鹿みたいにめんどくさいのは当たり前だろう。
そして効率にヒトはとらわれ危険をないがしろにして怪我をする。
だから、所作のひとつひとつ、考え方のひとつひとつ。ってことになる

その情熱なしには前に進まない。
でも、最前線、唯一無二であっても全ての技術は淘汰され何かに置き換わり無くなるということ。
それを彼は推し進めている。ロボット開発にも情熱を注いでいる。
ロボットが肉体を手に入れるであろう50年後には危険作業無くなることもまた現実です。

今、目の前に困っているお客さんがいて、それを解決する手段がこの手にある。それでいいじゃないか。
技術は持続可能な自己形成手段ではない。いつかは衰えなくなってしまう。諸行無常であると。だから、無我になれと。
危険を突破する技術が必要でなくなれば、人は怪我しないのだからそれでいいじゃないか。

頭ではわかっても心はざわつきます。
その境地の途中の若者はどうしたらいいのか?

きっと、体と頭をフル回転してできる仕事の最後に君はいる。
これ以降はもうそんな仕事はないかもしれない。
そのことに感謝する。そう今に感謝して・・・これで若者の魂は救えるだろうか?

技術や世界の進歩の負の部分、考えてもどうしようもないようなことを考えずにはいられない。(漫画プラネテス4巻あとがきより)

百瀬伐採造園 百瀬