みなさんこんにちは。見習い庭師のノスケです。
庭師の仕事を秋に始めてから半年以上が経ちましたが、
最近『自然への向き合い方が変わってきたなあ』と感じます。
これまで、登山ガイドをやっていることもあり、遠くへ出掛けていって出会う”手付かずの自然”に関心の重きがあったのですが、近頃は”人工の自然や暮らしのそばにある自然”が面白いなあと感じるようになってきました。
今回の記事では庭師の仕事を始めてからの自然への向き合い方の変化を書いてみたいと思います。
今まで自分の認識は「自然=人の手の加わっていないもの」という認識が強くありました。登山ガイドの仕事で案内する1番のお気に入りスポットは、富士山麓の青木ヶ原樹海という人の手の入っていない原始林です。
そこは、約1100年前の噴火で溶岩が流れ、植生がリセットされたあとに、また森林が形成されていっている場所です。そこは、人の気配がなく不安になるほど蒼々とコケや緑が辺りを覆っています。
地盤全体が波打つ溶岩の大地で、耕すこともできず開発を逃れてきた場所です。
ずっと人の手が入ってきていないため、1100年前に何もなくなって、それからどうやって森ができてきているか、土や植物のストーリーを感じることができます。
初めて訪れた時には、「これこそが自然なのか…」と、その場所に立つことに鳥肌が立ったのを覚えています
環境問題の話では、人間がしてきた過ちがよく語られるかと思います。
人間の出したゴミが環境に悪影響を与えていることや、人間が狼を絶滅に追いやったことで鹿が増えすぎて、生態系のバランスが崩れているという話など。
そんな話を聞けば聞くほど、
自然というものは人間の営みから遠く遠く離れたところにあるように感じてきました。
身近なところにある庭木や街路樹を森で育つ木と同じような関心で見ることをしてきませんでした。
人間が手をかけていくことは、自然なことではないようにどこかで感じていたのだと思います。
庭師として働くようになってから、そうした自分の認識が変わってきました。
街路樹や通りがかりの庭や身近な草木にこれまでよりも目が向き、意識が向くようになりました。見る度に少しづつ植物が変化していくことに気づき、季節の移ろいを感じます
この木は誰がどんな想いで植えて、どんな日々を過ごしてきたのか。もしくは、たまたま種が落ちて芽吹いてから今に至るまでどんな環境だったのか。一株一株のストーリーを想像すると面白く感じます
今まで森の中で感動することはありましたが、町の自然に対してはあまり感じられなかったことです。そうやって感動した時には、その植物のストーリーに人の手が参加していても、同じように素晴らしいと思えるのでした。
遠くに存在している手付かずの自然だけでなく、すぐそばの人工物溶けこんだ自然を感じられるようになりました。人の手が加わっている花壇の隅や、車道のアスファルトの割れ目にもあって、それらが大きな感動をくれることもあります。
自然と人の間に線を引いて分け隔てる必要はなく、手付かずのワイルドな森林も、庭先の雑草も、人が植えた樹木も、人間自身も自然の中の一部なのだということを思えるようになりました。
庭師になってから、湧いてきたこのような感覚は大切な財産だなあと感じます。
卒業式みたいに、しみじみとしてしまいましたが、これからも庭のしごとをますます深めていきたいと思います。
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